皆さんこんにちわ!まっきーです。
今回は、「すしざんまい」でおなじみの木村社長について記事にします!
「すしざんまい」と言えば、あの木村社長の手を広げる決めポーズや、初セリでマグロを高額で競り落とす、マグロの解体ショーなど、話題性抜群なのでご存じな方も多いのではないでしょうか?
今回は、そんな木村社長が解決した「ある問題」について記事にします。
その問題とは、2010年前後に発生した「ソマリア沖の海賊問題」です。
この時代に海賊?と思うかもしれませんが、実際に2010年頃に起きた問題であり、当時ニュースでかなり話題になっていたため、耳にした方も多いのではないでしょうか。
実は、このソマリア沖での海賊問題を解決するために、奔走した日本人が居たことを、皆んさはご存じでしょうか?
そう、それが「すしざんまい」の「木村社長」なんです。
この問題解決に取り組んだ木村社長でしたが、その結果として2010年以降ソマリア沖の海賊の被害は急減、その功績を称えて隣国のジブチ政府から、なんと勲章を授与されています!
では、木村社長は一体どんな方法でこの問題を解決したのでしょうか?
木村社長の紹介や、ソマリア海賊問題の概要など説明しながら、深堀していきたいと思います!
すしざんまい社長(木村清)はどんな人?
本題に入る前に、まずは簡単に木村社長の経歴をご紹介しておきます!
名前:木村 清(きむら きよし)
生年月日:1952年4月19日
年齢:69歳(2021年現在)
出身地:千葉県野田市
出身校:中央大学法学部
大学卒業後、1974年に新洋商社に入社するも、1979年9月に独立。喜代村(きよむら)の前身である木村商店を起業します。
その後、1985年10月に法人化し株式会社喜代村(きよむら)を設立しています。
東京都内を中心に、ヨドバシカメラマルチメディアAkibaに回転寿司店(現在は回転寿司ではない寿司店)を持つなどして急成長、「すしざんまい」を関東中心に51店舗展開する寿司チェーン店にまで成長します。
2019年の初競りでは大間産マグロを3億3360万円で競り落とし話題になります。宣伝効果を狙ったものだと思いますが、効果としては抜群だったのではないでしょうか?
そんな順風満帆の木村社長ですが、ソマリア沖で発生している海賊問題を知り、その解決に乗り出します。
では、当時ソマリアではどんな問題が起きていたのでしょう?
ソマリア沖では、一体何か起きていたのか?
日本人から見れば、あまり馴染みの無い地域かも知れませんが、ソマリア沖は、スエズ運河からアデン湾を通りインド洋に通じる海上の大動脈で、日本から見ても貿易上、非常に重要な海域です。
そんなソマリア沖でなぜ海賊が現れたのか。
そこには、ソマリア独特な歴史や地理が大きな影響を与えていました。
ソマリアの歴史と地理的問題
アフリカ大陸の東アフリカに位置する(アフリカの角(つの)、とも呼ばれる)ソマリアですが、実は長きに渡って「内戦状態」が続いています。
現在のソマリア領地は、19世紀後半から北部はイギリスの植民地、南部はイタリアの植民地でした。その後、第二次世界大戦後には両地区ともそれぞれ独立を果たし、統合してソマリア共和国が誕生します。
しかし、独立したソマリアは、今度は東西冷戦の影響を大きく受けソビエトに傾きます。それにより、親米政権が支配する隣国エチオピアとの間で対立が起きる。
その後、ソマリア共和国はクーデターを端に発し社会主義国家を宣言、国名をソマリア民主共和国に変更します。
一方、エチオピアでは1973年にハイレ・セラシエ皇帝の退位で急転直下、社会主義国家建設を目指すことになる。ところが、ソマリアではエチオピアの政権転向が影響し、従来の親ソ路線を捨て「新米路線を取る」という事態が発生します。
どちらも「新ソ路線」になったのに、その後ソマリアは親米路線に変更。意図的に対立しているように見えてしまいまよすね・・・。
これにより両国は対立を深め、エジプト国内にいるソマリ族による分離独立運動の高まりを受け、両国は1977年に戦争状態に突入。これは「オガデン戦争」と呼ばれています。
この戦争で、ソマリアは敗北を喫します。その結果、ソマリアは深刻な政治・経済的混乱を深めることになる。さらに、国内での氏族対立も激化していきます。
その後、国連のPKOが介入するも現地の激しい抵抗により断念。その結果、ソマリアは完全な無政府状態に陥ってしまいます。
ちなみに、現在では「ソマリア連邦共和国」となっていますが、支配地域が大きく3分割された状態が続いており、依然して混沌としています。
海賊の正体は漁師?
これまでの説明の通り、ソマリアは内戦が続く無政府に陥ります。それに伴い2005年以降、ソマリア沖では急激に海賊が出没する危険な海域と化します。
襲われる船舶も貨物船、旅客船、それにタンカーなど多岐に渡り、大型船も目立つようになる。2007年に約50件だった海賊被害件数が、2009年には約110件に跳ね上がります。
彼らは船を襲い、船員を人質として身代金を要求する、という行為を繰り返していました。
このため、船員がソマリア海域を通過する船舶への乗船拒否、保険料率の引き上げなど、国際海運業界に大きな影響を及ぼしており、わが国日本も当然影響を受けます。
しかも、なんと海賊の正体はソマリア沖を漁場とする漁民だというから驚きです。
1990年以降、ソマリアは無政府状態のため、ソマリア沖の豊かな海に外国の漁船が領海侵犯して操業しても取り締まることができず、そのためソマリアの漁民は自らの力で漁場を守る必要性に迫られます。
これに伴い漁民が武装化していった、というのが海賊の始まりのようです。
最初は自分たちの漁場を守ることが目的であったのに、いつの間にか海賊行為にすり替わっていった・・・というのが真相なんですね。
このように、起こるべくして起きた「ソマリア沖の海賊問題」ですが、ソマリア沖での海賊問題を知った木村社長は、その解決に乗り出します。
しかし、いち民間人である木村社長が、一体どうやって海賊問題を解決したのでしょうか?
その方法は、驚くべき内容でした。
木村社長の取った驚くべき行動とは?
ソマリア沖はキハダマグロの良い漁場であるが、ソマリア沖の海賊が頻発するため、中々漁ができない。
また、その海賊が元は漁師であるという事実に目を向けた木村社長は、なんと「直接海賊たちに会いに行く」という驚くべき行動に出ます。
海賊に直接会って話し合いにいくなんて、すごい勇気ですよね!
私だったら絶対ムリだわ・・・。
直接彼らと話し合いをした木村社長は、技術の無い彼らにマグロ漁の仕方を教えることにします。
また、船も中古の船を彼らに与えます。そのほか、マグロの冷凍倉庫や流通設備を整え、それらマグロを自分が買い取る!と海賊たちを説得していきます。
また、輸出ルートの確保のために、ソマリア政府に働きかけ、インド洋まぐろ類委員会にも加盟させる。その結果、2010年以降ソマリア沖の海賊の被害は急減。
その結果、木村社長はその功績を称えられ、隣国のジブチ政府から勲章を授与されるに至ります。
この事実を知ったとき、2つの意味で驚きました。1つはもちろん、この木村社長の勇気ある素晴らしい行動ですが、もう一つは、「同じ日本人なのにその事実を自分が知らなかった」という事実でした。
この記事を読んだ方でも、この事実を始めて知った方もいらっしゃるのではないでしょうか?
そして同時に、私は同じ日本人として、とても誇らしく感じました。
だって、普通なら違法行為を犯している海賊なのだから、有無を言わさず攻撃の対象となりそうですよね?それを暴力ではなく、話し合いで解決したのですから、これ以上ない素晴らしい解決方法だと思うのです。
もちろん、全ての争い事が話し合いでは解決しないでしょう。しかし、あえて話し合いで解決しようと思ったのには、恐らく彼らが好き好んで海賊をやっている訳ではないと、木村社長が本質を見抜いたからだと思います。
その対応能力にとても関心したし、普通であれば国内でもっと評価されてもおかしくないのに、この事を知らない日本人がたくさんいるのだから本当に驚きです。当時もあまりニュースで話題にならなかったのでしょうね。
だからこそ、自分なりに情報を集めてこの事実を記事にしてみました!皆さんの参考なれば幸いです。
まとめ
以上が、ソマリアで発生した海賊問題と、その問題を見事話し合いで解決した木村社長の話でした。
みなさんは、この事実を知ってどう感じましたか?
こんな素晴らしい逸話を、同じ日本人に広めないなんてもったいないですよね?私は、このエピソードを知り木村社長がとても好きになりました。皆さんはどうですか?
そのお礼として、私は「すしざんまい」に行こうと思います!
ただ、美味しい寿司が食べたいだけですけどね!
木村社長が解決し、大切な流通ルートを確保したことで、今わたしたちが食べているマグロも、実はソマリア沖産なのかも知れませんね!
以上、すしざんまいの木村社長と海賊問題についてでした!